Designed by Yoshiyuki MATSUDA(NULL co.,ltd.) Sound produced by DJ SHUDO
Tokyo,shibuyaku uehara 1-33-16 ohtsuka.bld 2F    Tel:03-5465-6455

Pie

Prologue.

ロンドン子の伝統的な一皿

パイとマッシュ(マッシュポテト)は数百年も前からロンドンっ子の大好きな一皿です。 それは、安くて幸せになれてたっぷりのボリュームがあるのです。ロンドンの古い小石で舗装された小路で行商人が売り歩いていた食べ物です。 さほど昔でない頃、伝統的で伝説になっているパイとマッシュの店が進化を失われた状態で古いロンドンの街に残りました。 ロンドンっ子の伝統はロンドンの歴史に不可欠なものです。イーストエンドの住民達は彼ら独自の伝統に誇りを持ち、友達はもちろん友達、ご近所さんは親戚のような関係を持っていました。 イーストエンドのような親しい住民同士の関係を他の地域では見たことがありません。ここのパイとマッシュの店に足を踏み入れたなら、古き良き時代のロンドンの光景を奇跡的に見ることが出来るでしょう。ロンドンっ子に幸あれ!

About the author.

第二次世界大戦中そしてその後、コニーのゼリーうなぎ(うなぎの煮こごり)と貝の店はイーストエンド通り、ケントの近くにありました。コニーは両親 マイケルとメリーモリスが経営するお店(花屋と魚屋を1920年代から営んでいます)でコニー家の伝統料理を出すお店を手伝っていました。コニーはウィルソンスミスと結婚し、自分の魚屋をStepney E1,ジョンソン通り32に開き、エレンはバーモンディシ、ロングレーン106に花屋を開きました。1936年のことです。 1942年、ジョンソン通りが空襲にあった際、コニーの店も被害を受けました。彼女はコマーシャル通り346に店を移しました。数年後、この場所もまた空襲を受けました。1944年、コニーはコマーシャル通り361の向かいにお店を移しました。ハーディング パイとマッシュのお店です。ありがたいことに、これらのお店は第二次世界大戦の戦火から免れました。数年後、コニーはお店をあきらめ、彼女のもっとも愛する屋台Old Firmの経営に集中しました。 ここに書かれている概要は我々のいくつかの伝統を思い起させます。日常的に儀式のよういパイとマッシュの店に行くことを!200年もの間、ロンドンっ子の唯一無二の独特の文化です。しかし、今はサウスイーストをルーツとしたこの文化は各地に広がっています。

このガイドはパイとマッシュの店の鑑定書ではありません。彼らは素晴らしい価値(お金になるもの)をくれたと確信を持って言えます。最初に目玉商品となったのは、簡単なパイ、マッシュとリカー(有名な緑のパセリソース)です。多くのものは伝統的な暖かい蒸しうなぎを売っていました。本当のところ、現在のパイとマッシュのお店は18,19世紀のうなぎパイの店から発展したものです。今世紀に至ってはミンチしたミートパイのみが、うなぎパイの店から有名な一皿として残っています。現在では唯一、伝統的なうなぎパイを出すのはPoshのみです。 うなぎは数世紀に及ぶ長い間、美食家が楽しむ食材としてありました。それは、何かヘビに似ている食べ物で、それを食べることを商業化されていました。川の堰を飛び跳ねる鮭のように、うなぎもヘビのように地上をくねくねできます。数世紀が経ち、トーマスうなぎ(アンギラ島:西インド諸島原産 とがり鼻うなぎ)は最高レベルのうなぎで、きめ細かなやわらかい歯ごたえで、他の魚よりリッチな口当たりを持っています。時が経つにつれて、数種類のパイとうなぎを出す店はメニューを増やしました。そして、伝統的な市場で貝やえんどう豆プディング、サビロイファゴット(豚の燻製ソーセージ)、グレービーソースとソーセージを出すようになりました。多くの店では、伝統的なアフター(デザート)をメニューとして持っていました。干しぶとう入りプディング、アップルパイ、プラムプディングです。そして、一緒に飲むお茶は不可欠です。わずかな数のパイとマッシュの店はリカーライセンスを持っていました。アルコールを出したんです!それぞれの店の「パイ職人」の技は同じものは一つとしてありません。 マッシュが粗めなのが好きな人もいれば、滑らかでクリーミーなのが好きな人もいます。お酒も濃くて強いものがすきな人もいれば、軽くて薄いのが好きな人もいるように。パリパリサクサクのペストリー好きもいれば、スパイシーな肉入りが好きな人、あまりグレービージュースが多くないのがいいという人、、、好みはそれぞれです。 あなたのパイの好みがどうであれ、どんなパイでもロンドンが存在してからすっとパイはロンドンっ子の重要な食べ物だったのです!それは曲名にもなるし、子守唄にもなりました。サウスイーストで生まれた伝統的な正統なパイは何世紀もの間に渡って魅力的な歴史を持っています。次の章では、パイとマッシュの店の変化に富んだ歴史を様々な味について語ります。 まず最初に「しきたり」から始めましょう。

Custom.

ある人は毎日必ず1回、ある人は週に1回きり、ある人はどうしても食べたくなって、自分の好きなパイとマッシュの店に行ったことについて話をするのです。なぜでしょう? 神聖なドアを開けて店に入ると、懐かしい香りで幸せに包まれます。~見知った顔の数々~あなたの大好きな味の一皿がそこにはあります。シングルパイ、マッシュとリカー、ダブル&ダブル、蒸しうなぎ。あなたの気の向くままに、何も教えらないまま、店がもっとも忙しい時にその店に向かうと、ドアの外にヘビのようにくねくねとした行列を見るでしょう。お気になさらずに、そんなにお待たせしません。よし、次の行列、私の順番、いきなり来た、そう、私の番が来た!

喜びをひしゃくいっぱいにして、大きな厚い磁器のお皿が運ばれ、カトラリーは自分で持ってきます。あるお店では、料理も自分で運びます。フォークとスプーンさえあれば十分、どのカトラリーをどの料理で使うなんで悩む必要はありません。ここでは堅苦しい作法もないし、ウエイターもいません。スターターもないし、1つの共用のテーブルにスペアシートがあるだけ。そこにどすんと座り、たっぷりの塩と少々のこしょう、お酢をポタリとたらし、醸造されていない香辛料、スパイス入りかプレーンかを選び、古めかしいボトル(シャンパンボトル・ジャックダニエル、スミノフ、ササンコンフォート、といったスピリッツ系のお酒)で出てきたお酒とパイ生地をそれだけで食べるのか、がしゃがしゃにして食べるのか、、、これが問題です。まずスプーンでマッシュを食べる?お酒から飲む?なんとも!パイを切ると肉汁がグレービージュースとなってたっぷり出てきて、、、少々のお酢をふりかけ、お腹がグーグーいってきた。外の世界のことは忘れた、、、まずは口いっぱいにほおばって、、、うーん、美味しい。

History.

フィッシュアンドチップスやバーガーレストランが忘れられている頃、うなぎパイの店は18世紀からあります。最初にオープンしたのはディケンスの時代の前、19世紀ビクトリア朝時代のロンドンです。今日もそれは今尚、ロンドンっ子の最初の本物のファーストフードです。ここ100年来、パイとマッシュの店はずっと続いてきました。近年復活してきており、約80店舗の伝統的な料理を出す店があります。

それらはサウスイースト(ロンドン市内)の味をベースにしたお店です。 我々の歴史的な話は10世紀にさかのぼります。我々の愛すべきパイとマッシュの由来の軌跡から始まります。我々の旅は数世紀を通して重要な瞬間があり、それはその時代の趣を与え、古き良きロンドンの街やハムレットのいた頃をはっきりとイメージさせます。さあ、物語の始まりです、、、 1066年、ロンドンの土地台帳には古いうなぎ工場がツイッケンハム近くのテムズ川沿いにあったと記録されています。ここではうなぎは池での養殖、もしくは地元の漁師によって獲られていました。(後にうなぎパイ島として知られますが、なんと700年も後になってからのことです) 10世紀のロンドンは城壁に囲まれた中でのみ、商業地がありました。そこは野原や農地に囲まれていました。テムズ川の北側の土手にあったビリングゲート(魚市場)では、波止場と魚や他の食料の市場でした。その頃は今日のような店はありませんでした。(路地や公園の小道での露天商を除いて) 悪名高く、乱暴物の商売人たちは「ホットパイマン」と呼ばれていました。彼らの有名な叫び声は「All’ot Pyes,’ot Pyes,all’ot」で、早朝にこの声が通りに鳴り響いていました。ホットパイ売りは商品を小さな携帯オーブンに入れて運んでいました。あるパイ売りは、マトンか牛肉のミンチ入りパイを売っていました。しかし、この肉入りパイはこの通りで商売をしている人にとっては高価な食べ物で、普通はうなぎパイでした。 うなぎは19世紀半ばまで、ロンドンの川に豊富にいました。うなぎはビリングゲートにトン単位で水揚げされ、ほとんどはオランダからの船から揚っていました。うなぎは繊細な味と歯ごたえなので、パイの中身にはもっとも適していました。うなぎにスパイスをし、蒸しておくと肉と違わないものになりました。その頃、疑わしいミートパイのフィリングは、犬や猫の肉を使っているものもあったのです!あるパイマンはそのパイを1ペニー、他のパイマンは半ペニーで売りました。「あんたが金を払う、だからあんたが選ぶ!」今のパイは100%本物の牛ミンチ肉でできています。 パイを投げるパイマンとして知られるストリートの伝統は彼らのいまいましいペニーで買う人を含んでいます。(普通は若い男、夜更けならよっぱらい)~もし、彼らが勝つとパイをただで手に入れることができます。パイを受けられなければ、お金を払います。負けです。よっぱらいはパイが欲しくなくても、エンターテイメントとして、パイ投げをすることもありました。

数世紀が過ぎ、露天商の数が増え、いろんな種類の食べ物や生活に必要なものが求められました。より成功したものは2輪の手押し車か屋台で商売を始めました。 パイマンと同様に、行商人として有名なのは「うなぎ売り」も含まれています。蒸しうなぎをスパイスの効いたパセリ、リカーと一緒に出します。彼らは毎朝ビリングゲートに集まる騒がしい魚商人の人々です。別の通りでは、ピクルス、牡蠣、ホットポテト、マフィン、ジンジャーブレッド、季節のフルーツパイを売っています。行商人の一番大きな商いになるのは、スポーツイベントや大きな展示会などの後でした。彼らはそういったロンドンの場所に出向きました。シェークスピアは「costers」を彼の作品の中で何度もロンドンの特色として書いています。 1666年の大火事のあと、街は再開発されました。18-19世紀には障壁をこえて広がっていきました。アイリントン、ホクストン、マイルエンド、テムズの南、バーモンドシー、デプトフォード、グリニッチ。 今世紀になると店舗が出来はじめました。1840年に最後になった毎年行列のできる展示会近くで、古い旅籠や居酒屋の近くにファッショナブルなコーヒーハウスや、ダイニングルームが出来ました。多くの露天商はこの新業態に負けずに生き残りました。他のものはそんなにラッキーではありませんでした。 1700年代半ば、2つの有名なうなぎパイの店ができました。1つはHighburg Sluice,ニューリバー沿い、ロンドン北部、もう一つはのちに「うなぎパイ島」として知られるTwickenham Ayteロンドン南部。この2つの店の詳細は後の章<Gone but not foegotten>に書かれています。他のうなぎパイの店はアイリントン、マイルズエンド、トールゲートに出来ました。 19世紀産業革命の前、うなぎパイの店はどんどん増え、安くて栄養価の高い滋養物として、労働者に食べられました。魚商人や菓子職人はペニーパイショップに転向しました。初期のフロンティアたちは1840~1870年代にバーモンドシーでうなぎパイハウスを開いていたブランチャード一家でした。ホワイトチャペル、フリート通り、ニューイントンの端。同時期、ウッド一家もうなぎパイをスタンドで売っていました。ランベス通りとイスリントン、ハイストリーとの2箇所です。 19世紀半ば、クックという名前の一家が商売を始めました。彼らの子孫は今でもパイとうなぎの店を続けています! 19世紀の終わりには新しいうなぎパイの店が増えました。そして、路地のパイ売りはいなくなりました。この絵は1884年に路地でパイを売っていた最後のパイマン:ウィリアムトンプソンです。自らをこの50年間のパイマンのチャンピオンと宣言している男でした。これは、トンプソンがグリニッチの教会の通路で自分の店(スタンド)に立っている絵です。19世紀は産業革命によりテムズ川に公害が起こり、汚染されました。地元の魚は汚染で全滅しました。 どのパイマンも彼のリカー、ペストリー、ミートパイのレシピを門外不出にしていました。古いうなぎパイのレシピは1843年にドクターウィリアムキッチナーにより「The Cooks Oracle」で出版されました。別のレシピは1861年、ビートンのビクトリアンクックブックに書かれています。 この歴史の記述はいくつかの事実、ある日付を思い出させます。 ~1860年までは20くらいのうなぎパイの店、1870年代終わりには30に、1890年代には50に、100年後には100を超えました。 ~20世紀に入ると、その人気は続き、大きくなり、多くの人が商売を始めては消えていきました。100以上の店が過剰にありました。第一次世界大戦の頃、1930年代には150を越える店がありました。 ~第二次世界大戦の頃は爆撃で多くの道が被害を受けました。戦後、お店は復興し1950年代には100近くにまでなりました。1960年頃には多くの地域のファッションと文化が変わっていきました。多くの「ロンドンっ子」はロンドン郊外の新しい街(テムズ川沿い)に移り住みました。彼らの伝統的なパイとマッシュの店も一緒に移りました。ロンドン中央にあった数多くの店も移転し、あらゆるところに店を開きました。イーストエンドの人々はパイとマッシュの店なしでは生きていけないのです! 1995年には伝統的な料理を出すパイとマッシュの店はサウスイーストに80店舗ほどに拡大しました。さらに新しいショップができているので、この伝統は21世紀も力強く続いていくことを確信します。